高松高等裁判所 昭和50年(ネ)139号 判決 1975年8月26日
控訴人(附帯被控訴人)
泉喜代一
右訴訟代理人
吉田太郎
被控訴人(附帯控訴人)
保内町
右代表者町長
須藤厳
右指定代理人
高須要子
外二名
主文
原判決を次の通り変更する。
被控訴人(附帯控訴人)は控訴人(附帯被控訴人)に対し、金三〇八万円及び内金二七八万三九〇〇円に対する昭和四三年五月一六日以降、内金二九万六一〇〇円に対する同年五月三一月以降右各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
控訴人(附帯被控訴人)のその余の請求を棄却する。
被控訴人(附帯控訴人)の本件附帯控訴を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審を通じ、これを二分し、その一を控訴人(附帯被控訴人)の負担とし、その余を被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。
この判決は、控訴人(附帯被控訴人)において金一〇〇万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。
事実
控訴(附帯被控訴)代理人は、「被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という)は控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人という)に対し、金六〇〇万円及びこれに対する昭和四三年五月一六日以降右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人の附帯控訴につき、「本件附帯控訴を棄却する。附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め、附帯控訴につき、「原判決中被控訴人敗訴の部分を取消す。控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上法律上の主張、提出援用した証拠、認否は、次に訂正附加する外は、原判決事実摘示の通りであるからこれを引用する。
原判決三枚目表一一行目に「共同で」とある部分、及び、同七枚目表六行目の「四」とある部分を削除する。
(控訴人の主張)
一、控訴人及び訴外上田籾弥が訴外坊内栄に貸与した本件貸金合計金六五七万円のうちで、上田籾弥は、昭和四二年一〇月三〇日に貸与の貸金三〇〇万円のうち金五〇万円のみを現実に拠出して貸与し、控訴人はその余の合計金六〇七万円を現実に拠出してこれを貸与したものであるから、被控訴人の役場係員の本件不法行為により、右上田籾弥は金五〇万円の、また、控訴人は金六〇七万円の各損害を蒙り、被控訴人に対し右同額の損害賠償債権を有するに至つたものというべきところ、その後右上田籾弥は控訴人に対し、昭和四九年一一月二一日、被控訴人に対する右損害賠償債権(遅延損害金を含む)を譲渡し、右同日その旨を被控訴人に通知した。
よつて、控訴人は被控訴人に対し、右計金六五七万円の損害賠償債権を有するに至つたから、本訴においてそのうち金六〇〇万円及びこれに対する本件不法行為後の昭和四三年五月一六日以降右支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、控訴人及び上田籾弥は、坊内栄に対し、控訴人名義をもつて合計金六五七万円を貸与するに際し、訴外芝田清貞においてその連帯保証をすることを承諾したものと信じて右金員を貸与したものであるから、控訴人らが被控訴人の役場係員の本件不法行為によつて蒙つた現実の損害額を算定するに当つては、単に右貸金を被担保債権とする本件根抵当権の目的不動産の価額のみでなく、芝田清貞所有の動産不動産等全財産の価額を考慮してその損害額を定めるべきところ、芝田清貞所有の全不動産の価額は、別紙不動産価額表に記載の通りであるから、控訴人及び上田籾弥は、現実に右貸金六五七万円相当の損害を蒙つたものというべきである。
三、次に控訴人及び上田籾弥が被控訴人の役場係員の不法行為によつて前記損害を蒙つたことにつき、控訴人及び上田籾弥に五割もの過失はない。このことは、芝田清貞は坊内栄の妻の父であることや、松山地方法務局八幡浜支局が被控訴人の発行した本件印鑑証明書と同様の印鑑証明書により、本件物件についての根抵当権設定登記をしていること、等に照らして明らかである。
四、なお、被控訴人の後記主張は争う。
控訴人及び上田籾弥が、被控訴人の役場係員の過失により本件偽造印による印鑑証明書が作成され、被控訴人に本件不法行為責任のあることを知つたのは、昭和四七年六月五日頃である。
(被控訴人の主張)
一、控訴人の右一、二の主張事実中、被控訴人が上田籾弥から控訴人主張の如き債権譲渡の通知を受けたことは認めるが、右控訴人主張の債権譲渡の事実は不知、その余の事実はすべて争う。
二、控訴人及び上田籾弥が、芝田清貞の代理人である坊内栄を通じ、芝田清貞を連帯保証人とする控訴人主張の連帯保証契約を締結したことはない。すなわち、控訴人及び上田籾弥は坊内栄に対し、控訴人主張の金員(但し、その額は後記の通り争う)を貸付けるに際し、同訴外人が控訴人らに対し、控訴人主張の本件根抵当権の目的不動産(原判決添付別紙目録記載の本件物件)の登記簿謄本をみせながら、「このみかん山は相当の値打があるからこれを担保にとつてくれ、」と申込んだので、控訴人及び上田籾弥は、右みかん山に本件根抵当権を設定することにして坊内栄に対し金員を貸与したに過ぎないのであつて、芝田清貞の代理人坊内栄を通じて、右芝田清貞を連帯保証人とする控訴人主張の連帯保証契約を締結したことはない。もつとも甲第四号証の継続的証書貸付契約並び根抵当権設定契約証書には、「連帯保証契約者芝田清貞」と記載されているが、右契約証書は、控訴人及び上田籾弥の依頼により、坊内栄の立会いのないまま、司法書士のもとで勝手に作成されたものに過ぎないから、右証書の記載をもつて、芝田清貞を連帯保証人とする控訴人主張の連帯保証契約が締結されたものとはいい難いのである。
三、仮りに坊内栄が芝田清貞の代理人となつて、自己の借入金債務につき、芝田清貞を連帯保証人とする控訴人主張の連帯保証契約を締結したとしても、右連帯保証契約が無効であるために控訴人らが蒙つた損害と被控訴人の役場吏員が本件印鑑証明書を発行したこととの間には、相当因果関係はない。
すなわち、印鑑証明書は、印鑑自体の同一性を証明するとともに、取引行為者の同一性及び取引行為が行為者の意思に基づくものであることを確認する資料として、契約の締結、不動産の登記申請、公正証書作成の嘱託等にこれが要求されるが、発行者にとつては、それが申請者によつて実際にはいかなる目的に使用されるか全く知ることができないものであるから、印鑑証明書の所持者の行為によつて生じたすべての結果について、発行者がその責を負うべき性質のものではない。それは、当該取引行為等において、取引上あるいは登記等の公的手続上印鑑証明書が要求される範囲に限られるべきであつて、この範囲内で証明行為と損害との間に因果関係を認めるのが相当なのである。これを本件についてみるに、控訴人及び上田籾弥は金融業を営む者であるところ、本件貸借は、一回限りの貸借ではなく、将来長期に亘つて、継続、反復される金融取引の限度額を金六〇〇万円とする多額の債務の連帯保証契約であり、取引上極めて重要な契約である。しかも、控訴人及び上田籾弥は芝田清貞と一面識もなく、その資力も判然としていなかつたのであるから、このような事情の下においては、金融業者は通常連帯保証人となるべき者に面接して連帯保証することの意思の有無、保証の限度等を確認すべきが当然であるところ、控訴人及び上田籾弥は、これをなさず、坊内栄が芝田清貞の印鑑証明書を所持していたことだけをもつて坊内栄に右代理権があものと軽信し、控訴人主張の連帯保証契約を締結したものである。したがつて、控訴人及び上田籾弥の蒙つた損害は、専ら控訴人の右のような軽率な判断に起因しているものというべきであるから、被控訴人の役場係員の本件印鑑証明書の発行とは直接の因果関係はいものというべきである。
四、なお、控訴人及び上田籾弥が坊内栄に対し、合計金六五七万円もの金を現実に貸与した事実はない。すなわち、控訴人が坊内栄を相手にして松山地方裁判所大洲支部に提起した右貸金返還請求事件(同庁昭和四八年(ワ)第九号)においては、控訴人は、控訴人が単独で坊内栄に対し金六五七万円を手形貸付の方法により貸付けたと主張していたのに、本訴においては、当初上田籾弥と共同して金六五七万円を貸与したと主張し、さらに当審の昭和五〇年三月一八日の口頭弁論期日においては、右金六五七万円のうち金五〇万円は上田籾弥が貸与したと主張して、右貸し付けに関する控訴人の主張は度々変つているのである。また、坊内栄は、本件と同様の手段によつて、控訴人以外の五名から金員を騙取したことにより、昭和四三年七月一四・五日頃逮捕され、その頃起訴されたが、このとき、本件貸借に関して坊内栄及び控訴人らが取調べを受けたが、貸付金額が不明であるとして、起訴されるに至らなかつたものである。しかして、このような事実からすると、控訴人及び上田籾弥は、金六五七万円もの金を坊内栄に貸与したような事実はないというべきである。
五、次に、被控訴人役場における印鑑の同一性の識別は、まず肉眼で照合し、疑いあるときに拡大鏡を用いて照合する方法をとつている。ところで、本件印鑑の四文字の字画は多く、かつ、複雑であつて、しかも控訴人主張の原判決事実摘示請求原因一の3(イ)ないし(ハ)に指摘の部分は、この複雑な印影の中心辺りにあり、「」の部分の中の縦子画(第三画)と下の横字画(第四画)の距離はわずか一ミリメートルに足らない極めて微細なものであつて、朱肉のつけ方如何によつてはこの欠缺部分が接続することをも往々にしておこり得るのであり、また、本件印鑑の登録は昭和一八年四月一九日になされ本件印鑑証明書下付申請時まで二三年余りを経過しているのであるから、印鑑は相当摩滅してこのような印影となつたとも考えられるのである。そして、この相違の外は、再印影はその大きさ、型、字体等が肉眼では識別が困難な程度に極めて類似しているものであり、右相違も欠缺部分が一ミリメートルに足らない微細な部分であつて、その部分に相違があることを認識して眺めれば別として、このような認識のない段階においては、その識別は、慎重な注意を払つても必ずしも容易なものではない。したがつて、被控訴人役場の係員が肉眼による印影の照合において、右印影の相違を識別し得なかつたとしても、無理のないところであつて、右相違を識別し得なかつたことに過失があつたということはできない。
六、仮りに以上の主張がすべて理由がないとしても、控訴人主張の本件損害賠償債権は時効によつて消滅している。
すなわち、控訴人は、昭和四三年七月中旬頃、本件貸借に関し捜査機関の取調べを受け、本件印鑑証明書の被証明印が偽造であることを知つたのであるから、これにより本件損害が発生したことも知つた筈である。したがつて、右損害賠償債権は、昭和四三年七月中旬頃から起算して満三年を経過した昭和四六年七月中旬頃時効によつて消滅したから、被控訴人は右消滅時効を援用する。
(証拠)<略>
理由
一(坊内栄の不法行為)
訴外芝田清貞が昭和一八年四月一九日被控訴人に対し印鑑届をしていたこと、昭和四二年二月七日被控訴に対し右芝田清貞名義の偽造印による印鑑証明願が出され、被控訴人の係員が右証明願にかかる偽造印はかねて芝田清貞届出の印鑑と相違ない旨の本件印鑑証明書を発行したこと、原判決添付別紙目録記載の本件物件につき控訴人主張の根抵抵権設定登記がなされていること、以上の事実についてはいずれも当事者間に争いがない。
次に、右争いのない事実に、<証拠>を綜合すると、次の如き事実が認められる。すなわち、訴外坊内栄は、昭和四二年二月頃自己の妻の父である訴外芝田清貞名義の印鑑(木製)を同人に無断で作成偽造し、これを利用して同月七日頃被控訴人の係員から右偽造印は芝田清貞届出の印鑑と相違ない旨の本件印鑑証明書(甲第二号証)の交付を受けた上、控訴人及び上田籾弥の両名に対し、右偽造印と本件印鑑証明書を示しながら、真実は、前記芝田清貞の承諾等は得ていないのに、同人から、自己の本件借受金債務につき、その連帯保証をすること、及び、本件物件に根抵当権を設定することの各承諾を得ており、かつ、自己に右各契約を締結する一切の権限を与えられているとの虚偽の事実を述べて、金銭の貸与方を申入れたこと、これに対し、控訴人及び上田籾弥は、坊内栄が右芝田清貞名義の偽造印及び本件印鑑証明書を持参していたところから、右偽造印は芝田清貞の真正な印鑑であつて、芝田清貞は真実坊内が控訴人から借受ける借受金債務につきその連帯保証をすること、及び、本件物件に根抵当権を設定することを承諾し、その代理権限を坊内栄に与えているものと誤信し、右坊内栄に金員を貸与することにしたこと、そして昭和四二年二月二八日頃控訴人及び上田籾弥を共同貸主とし、坊内栄を借主とする元本極度額六〇〇万円の継続的証書貸付契約を締結すると同時に、右坊内栄を介して芝田清貞との間に、清貞が右坊内の控訴人らに対する右借受金債務の連帯保証をする旨の契約及び芝田清貞所有の本件物件につき元本極度額金六〇〇万円の根抵当権(控訴人及び上田籾弥の持分各二分の一)を設定する旨の契約を締結し、その頃坊内栄から預つた前記芝田清貞名義の偽造印等を使用するなどして、愛媛県八幡浜市内の佐藤司法書士事務所において右各契約内容を記載した甲第四号証の契約証書を作成し、本件物件につき前記根抵当権の設定登記を了したこと、その後、控訴人及び上田籾弥の両名は、右継続的貸付契約に基づき、遅くとも昭和四三年五月三〇日頃までの間に、数回に亘り、合計数百万円に上る金員を貸与し、その都度坊内栄振出にかかる約束手形の交付を受けていたところ、控訴人らは、右貸付けに当り、予め月三分の割合による利息を天引し、また、その後右坊内が約定期限までに右貸付金の返済ができなかつたときには、その都度利息を元本にくみ入れて手形を書き替えたこと、そして、控訴人は、現在、坊内栄振出にかかる額面合計金六五七万円にのぼる別紙約束手形目録記載の約束手形五通を所持していること、したがつて、控訴人らは、現在坊内栄に対し、合計金六五七万円の貸金債権を有していることになつているが、実際に控訴人及び上田籾弥が坊内栄に交付した現金は、合計約金四四〇万円に過ぎず、そのうち現実には、上田籾弥が金五〇万円のみを拠出して貸与し、その余の約三九〇万円は控訴人が拠出して貸与したものであること、なお、右合計金四四〇万円のうち、甲第一一号証の二の約束手形(別紙約束手形目録(5)の手形)に対応する貸金は、昭和四三年五月三〇日になされ、その際に右金四五万円に対する月三分の割合による二ケ月分の利息計金二万七〇〇〇円を天引した金四二万三〇〇〇円が現実に交付され、その余の合計金三九七万七〇〇〇円は、昭和四三年五月一五日までに交付されたこと、以上の如き事実が認められ、右認定に反する当審証人坊内栄の証言はたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
もつとも、被控訴人は、控訴人及び上田籾弥は、坊内栄から、「みかん山を担保にして金を貸して欲しい」といわれ、右みかん山である本件物件の価値に着目し、これに根抵当権を設定して金員を貸与することにしたものであつて、その際芝田清貞を連帯保証人とする連帯保証契約を締結したことはないとの主張をしているが、坊内栄が「みかん山を担保にして金を貸して欲しい」といつて控訴人から金員を借受けたからといつて、控訴人及び上田籾弥が坊内栄を介して芝田清貞を連帯保証人とする前記連帯保証契約を締結したことはないとはいえないことは勿論である。なお、また、右連帯保証契約を記載した甲第四号証を作成する場合に、坊内栄がその場にいなかつたからといつて、控訴人らが坊内栄に無断で甲第四号証を作成したものとはいい難い。却つて、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によれば、坊内栄は、芝田清貞の代理人として、芝田清貞を連帯保証人とする前記連帯保証契約を締結し、ただその契約書を作成することについては、これを控訴人らにすべて任かせ、芝田清貞名義の偽造印と本件印鑑証明書、及び、坊内栄の印鑑等を控訴人に預けたので控訴人らは、これを利用して甲第四号証の契約証書を作成したことが認められる。よつて、控訴人及び上田籾弥は、芝田清貞を連帯保証人とする連帯保証契約を締結したことはないとの被控訴人の主張は採用できないのであつて、前記の通り、控訴人及び上田籾弥は、坊内栄を通じて、芝田清貞を連帯保証人とする前記連帯保証契約を締結したものというべきである。
二(損害額)
しかして、以上認定の事実からすれば、控訴人及び上田籾弥は、坊内栄の欺罔行為により前記金員を貸付けることになつたものというべきところ、芝田清貞を連帯保証人とする本件連帯保証契約及び本件物件に対する根抵当権の設定契約は、いずれも芝田清貞に無断でなされたものであつて、当然無効であり、また、弁論の全趣旨により、右各契約が当然無効であることが予めわかつていれば、控訴人及び上田籾弥は、坊内栄に対し前記金員を貸与しなかつたことは明らかであるから、控訴人及び上田籾弥は、右坊内の前記欺罔行為により、同人に貸与して交付した現金相当額の損害を蒙つたものというべきであつて、このことは、控訴人及び上田籾弥が坊内栄に対し、前記貸付による貸金債権を有していると否とによつて相違はないものというべきである(最高裁・昭和三八・八・八判決、民集一七―六―八三三参照)。
もつとも、控訴人は、控訴人及び上田籾弥の坊内栄に対する本件貸金債権合計金六五七万円相当の全額について損害を蒙つたと主張しているが、凡そ不法行為による損害とは、その行為(本件においては坊内栄の不法行為)がなかつたならば失なわなかつたであろう財産的価値をいうものであるところ、前記の通り、本件貸金合計金六五七万円のなかには、天引された利息やその他未払の利息等も含まれており、かつ、利息は、本件貸借によつて得られた利益であつて、前述の坊内栄の欺罔行為(不法行為)によつて控訴人らの失つた財産的価値とはいい得ないから、本件において控訴人及び上田籾弥の蒙つた損害は、控訴人らが坊内栄に現実に貸与して交付した現金額であるというべきである。よつて坊内栄の欺罔行為によつて、控訴人は金三九〇万円、上田籾弥は金五〇万円の損害を蒙つたものというべきであつて、右金額を超える控訴人の主張は失当である。
次に、本件のように、借主の欺罔行為により、第三者が有効にその連帯保証をし、かつ、その所有物件に根抵当権を設定したものと誤信して金銭を貸与した場合における貸主の損害額は、連帯保証人となつた者の一般財産額(資力)や根抵当物件の価額の範囲に限るものと解すべきではなく、貸主が現実に借主に貸与して交付した金員の全額であると解すべきである。蓋し、借主が無資力の場合には、右連帯保証及び根抵当権が有効であつても、貸主は、現実には、連帯保証人の資力及び根抵当物件の価額の範囲内でおいてのみ、その貸金の回収をすることができるに過ぎないことになろうけれども、他方、貸主は、第三者の連帯保証及び根抵当権の設定が無効であることを当初から知つていれば、もともと全く金銭を貸与するようなことはしなかつたものというべきであつて、右貸与した金員は、借主の欺罔行為と相当因果関係のある出捐であり、かつ、右出捐と同時に損害は発生しているものというべきであるし、また、右の如き場合の貸主の損害を、連帯保証人の資力や根抵当物件の価額の範囲内に限るとすれば、連帯保証人の資力や根抵当物件の価額に変動がある場合、例えば、金銭の貸与時には連帯保証人の資力が充分でなかつたのに、その後資力を回復したような場合には、右連帯保証人の資力や根抵当権物件の価額を何時の時点でとらえるかによつて、損害額の範囲が異るこにとなつて不合理である上、被害者である貸主は、連帯保証人の資力や根抵当物件の価額が資金額を上廻ることを立証しなければ、不法行為者に対し、右貸金全額の賠償を求め得ないことになり、被害者に不当に重い負担を課することになるからである。のみならず、本件においては、控訴人及び上田籾弥は、芝田清貞がその真意に基づき、有効に、坊内栄の本件借受債務につき連帯保証をし、かつ、本件物件に根抵当権を設定したと誤信して坊内栄に前記金員合計金四四〇万円を貸与したものであるところ、成立に争いのない甲第一〇号証の二ないし六、当審における鑑定人稲生修三郎の鑑定の結果によれば、芝田清貞は、別紙不動産価額に記載の通り土地建物を所有し、その価額の合計額は、昭和四二年五月当時において計金九五二万九〇〇〇円であり、また、昭和五〇年五月当時には金一二四三万九〇〇〇円であることは認められ、右認定を左右するに足る証拠はないから、控訴人及び上田の坊内栄に対する本件貸金の連帯保証人となつている芝田清貞の一般財産額は、本件貸金のなされた当時においても現在においても、右控訴人及び上田が貸与して交付した金額の合計額を上廻つているものというべきである。よつて、控訴人及び上田は、坊内栄の欺罔行為により、同人に貸与して交付した金員の全額について損害を蒙つたものというべきである。
三(因果関係及び被控訴人係員の過失)
次に、当裁判所も控訴人及び上田籾弥が坊内栄の欺罔行為によつて蒙つた損害と被控訴人の係員が芝田清貞名義の偽造印による本件印鑑証明書を発行したこととの間には相当因果関係があり(したがつて被控訴人の係員と坊内栄とは共同不法行為者である)、また、被控訴人の係員が本件印鑑証明書を発行したこと、そしてそのために控訴人及び上田が前記損害を蒙つたことにつき、被控訴人の係員には過失があつたと認定判断をするものであつて、その理由は、次に付加する外は、原判決七枚目裏一〇行目から同一〇枚目裏九行目までに記載の通りであるから、これを引用する。
被控訴人は、当審でも種々の理由をあげて、芝田清貞を連帯保証人とする前記連帯保証契約が無効であるために控訴人及び上田籾弥の蒙つた損害と被控訴人の係員とが本件印鑑証明書を発行したこととの間には相当因果関係はないと主張している。しかしながら、我が国では、一般に、不動産売買、不動産賃貸借、消費貸借による金融取引等、重要な財産的取引がなされる場合には、右契約が本人の真意に基づいてなされることを確認するための一方法として、印鑑証明書の提出が要求されていることは、印鑑証明書の特質及び一般取引の経験則に照らし明らかであり、また、<証拠>によれば、被控訴人保内町では、印鑑証明書は、印鑑の届出をした本人、又は、本人の委任を受けた代理人の申請に基づかなけばれ発行しない取扱いになつており、かつ、右申請と同時に届出の印鑑を提出することが必要であることが認められるところ、かかる事実に、印鑑証明書の特質に鑑み、重要な財産取引に際し、本人の印鑑及び印鑑証明書が提出されれば、当該取引は、本人の真意に基づいてなされるものであることが一応推測されるというべきである。そして、本件においても、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人及び上田籾弥は、坊内栄から、同人の妻の父である芝田清貞が坊内栄の控訴人らに対する本件借受金債務につき、その連帯保証をすること、及び、本件物件につき根抵当権を設定することを承諾しているから金銭を貸与して欲しいと申込まれた際、芝田清貞名義の本件偽造印と右偽造印が芝田清貞届出の印鑑に相違ない旨の本件印鑑証明書とが提出されたからこそ、右坊内栄の申出の通り、芝田清貞が前記連帯保証等の承諾及びその代理権限を授与をしているものと信じて前記金員を貸与したものであつて、本件印鑑証明書がなければたやすく右の如く信じて金員を貸与するようなことはしなかつたこと、以上の如き事実が認められる。してみれば、控訴人及び上田が、坊内栄の申出を真実と信じて前記金員を貸与するに至つたのは、本件印鑑証明書があつたことがその一因をなしているものというべきであるから、右金銭を貸与したことによる損害と、被控訴人の係員が本件印鑑証明書を発行したこととの間には相当因果関係があるというべきであつて、このことは、印鑑証明書の発行者において、発行当時具体的にそれが如何なる目的に使用されるものであるかが不明であつたとか、控訴人及び上田籾弥が前記金員を貸与するに際し、予め芝田清貞にその真意を確かめなかつたとか、その他被控訴人主張の如き諸事情があるからといつて、これによつて左右されるものではないというべきである。してみれば、右相当因果関係がないとの被控訴人の主張は失当である。
また、被控訴人は、当審でも種々の事情をあげ、芝田清貞が従前から被控訴人に届出ていた印鑑と坊内栄の作成した芝田清貞名義の本件偽造印とは、極めて類似しており、肉眼では容易に識別ができなかつたから、被控訴人の係員が右偽造印に基づき本件印鑑証明書を発行したことに過失はないと主張している。しかしながら、前記のとおり、印鑑証明書は、不動産の登記申請や公正証書作成の嘱託等の外、前記のように重要な財産的取引にも使用されるのであつて、これが適正に発行されない場合には、これを信用して取引をした者に損害を与える等国民個人の権利義務に重大な影響を及ぼすことは経験則上明らかであるから、市町村の係員が印鑑証明書を発行するに際し、証明を求められた印鑑が従前届出の印鑑と同一であるか否かについての印鑑照合をする必要があり、かつ、右印鑑照合に当つては、一般通常人よりもはるかに高度の注意義務が要求されるものと解すべきところ、<証拠>によれば、芝田清貞が従前被控訴人に届出ていた印鑑は「清」の文字の月の部分が「」となつていて右から二本目の縦の線と下の線との間に空間があるのに対し、坊内栄の偽造した本件偽造印は、右部分が「」となつていて、右から二本目の縦の線が下の線まで延びている外、右届出印は各文字のかどが概ね四角になつている上、全体に線が細いのに対し、偽造印の方は、右届出印にくらべ、右文字のかどが丸味を帯び、かつ、各文字の線が全体に太くなつているなどの相違点があること、そして、右両印鑑を対照するに当り、これを拡大しないでそのまま肉眼で比較対照するいわゆる平面照合によつた場合でも、印鑑証明書の発行事務を担当している係員が社会通念上一般に期待される業務上の注意をもつて慎重に熟視して照合すれば、右の点の相違点を発見することはさして困難ではなかつたこと、などが認められた右認定に反する原審証人二宮吉時、同兵頭剛の各証言はたやすく信用できない。しかして、本件偽造印の字画が多く、複雑であるとか、芝田清貞が印鑑登録をしたのは昭和一八年四月であつて、本件偽造印による印鑑証明のなされるまでに二三年余りを経過していること等被控訴人主張の諸事情があるからといつて、印鑑証明書の発行に際し、前述の如き高度の注意義務の要求される被控訴人の係員がその注意義務を尽せば、一般的に、右届出印と本件偽造印との相違点を発見することが著しく困難であつたとはいい得ないのである。してみれば、本件印鑑証明書の発行につき被控訴人の係員に過失がなかつたとの被控訴人の主張は採用できないのであつて、前記認定の通り、被控訴人の係員には、本件印鑑証明書を発行するに当り、芝田清貞が従前届出ていた印鑑と本件偽造印とが異ることを看過して本件印鑑証明書を発行した過失があるものというべく、また、坊内栄が本件印鑑証明書を用いて控訴人及び上田籾弥等第三者から金銭を借受け、これによつて控訴人及び上田籾弥等第三者が損害を蒙ることについても、その予見可能性があつたのに、不注意によりこれを看過した過失があつたものというべきである。
そうだとすれば、公権力の行使に当る被控訴人の係員がその職務を行うに際し、右過失によつて控訴人及び上田籾弥に対し前記損害を与えたものというべきである。
四(過失相殺)
してみれば、被控訴人は、国家賠償法第一条に基づき、控訴人及び上田籾弥の蒙つた前記損害を賠償すべき義務があるというべきである。ところで、<証拠>によれば、控訴人及び上田籾弥と芝田清貞とは同じ愛媛県内の南予地方に居住しているものであつて、控訴人及び上田籾弥が坊内栄に前述の金員を貸与するに際し、芝田清貞に直接会うなどして同人が真実坊内栄の借受金債務につきその連帯保証をし、また、本件物件につき根抵当権を設定することにつき承諾をしその代理権を坊内栄に与えたか否かを確かめることは容易であつたし、また、右芝田清貞とは従前に取引はなかつたのであるから、控訴人及び上田籾弥としては、あらかじめ芝田清貞に会うなどして直接その真意を確かめるべきであつたこと、しかるに、控訴人及び上田籾弥は、これを怠り、坊内栄の提出した本件印鑑証明書と偽造印とによつて、たやすく芝田清貞が右各契約を締結することを承諾しその代理権を坊内栄に授与しているものと信じて、坊内栄に前記金員を貸与したものであること、以上の如き事実が認められ、右認定に反する証拠はない。してみれば、控訴人及び上田籾弥が坊内栄に前記金員を貸与して損害を蒙つたことについては、控訴人及び上田にも過失があつたものというべく、その過失割合は、三割と認めるのが相当である。
よつて、被控訴人の控訴人らに対する賠償額を定めるに当つては、控訴人及び上田籾弥の右過失を斟酌して過失相殺をすべきであるから、結局、被控訴人は、控訴人に対し、控訴人の蒙つた前記損害金三九〇万円のうち金二七三万円を、上田籾弥に対しては同人の蒙つた損害のうち金三五万円を、それぞれ支払うべき義務があつたものというべきである。
五(消滅時効の抗弁)
次に、被控訴人は、控訴人は、昭和四三年七月中旬頃本件損害の発生したことを知つたから、それから満三年を経過した昭和四六年七月中旬、控訴人の本件損害賠償債権は消滅時効により消滅したと主張しているので判断するに、控訴人が昭和四三年七月中旬頃、控訴人及び上田籾弥が坊内栄に貸与した本件貸金に関し、捜査機関の取調べを受けたからといつて、本件印鑑証明書に押捺されている芝田清貞名義の印鑑が偽造の印鑑であることを確定的に知つたものとは認め難く、いわんや控訴人が坊内栄に前記金員を貸与して損害を蒙つたことにつき、被控訴人にその損害賠償義務のあることを知つたものとは認め難いのであつて、他に昭和四三年七月頃控訴人が被控訴人に右損害賠償義務のあることを知つたとの事実を認め得る証拠はない。却つて、<証拠>によれば、控訴人は、芝田清貞から本件物件に対する根抵当権設定登記の抹消請求等の訴訟を起こされ(松山地方裁判所大洲支部昭和四五年(ワ)第四五号、同第四八号事件)、右事件で鑑定がなされ、本件印鑑証明書に押捺されている印鑑が偽造印である旨の鑑定書が提出されてから間もなくの昭和四七年六月頃、はじめて本件印鑑証明書に押捺されている印鑑が偽造印であることを確定的に知つたこと、そこで控訴人は、吉田太郎弁護士に訴訟委任をして、被控訴人を相手方として損害賠償を求める本件訴訟を提起したことが認められ、また、本件訴訟が提起されたのは昭和四七年九月一一日であることは記録上明らかである。よつて、被控訴人の時効の抗弁は失当である。
六(債権譲渡)
次に、<証拠>によれば、上田籾弥は、昭和四九年一一月二一日、被控訴人に対する前記損害賠償債権全部(本件不法行為後の年五分の割合による遅延損害金を含む)を控訴人に譲渡したことが認められ、また、その頃上田籾弥が被控訴人に対し、右債権譲渡の通知をしたことは当事者間に争いがない、
七(結論)
そうだとすれば、被控訴人は、控訴人に対し、前記四に記載の合計金三〇八万円及び内金二七八万三九〇〇円(昭和四三年五月一五日までに貸与して交付した現金合計金三九七万七〇〇〇円につき過失相殺をした額)に対する本件不法行為後の昭和四三年五月一六日以降、内金二九万六一〇〇円(昭和四三年五月三〇日に貸与して交付した現金四二万三〇〇〇円につき過失相殺をした額)に対する同じく昭和四三年五月三一日以降右各支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべきであるから、控訴人の本訴請求は右の限度で正当であるが、その余は失当である。
よつて右と異る趣旨の原判決は一部不当であるからこれを変更して、控訴人の請求を右の限度で認容し、その余は棄却し、また、被控訴人の本件附帯控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法九六条九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文の通り判決する。
(秋山正雄 後藤勇 磯部有宏)
不動産価額表、約束手形目録<省略>